Category  |  苦しみ

選択

友人が亡くなって半月ほどして彼女の母と話す機会がありました。「いかがですか?」と聞くのはちゅうちょされました。だって、悲しいに決まっています。しかし、その気持ちを押して尋ねました。すると彼女は「大丈夫。私は喜びを選ぶから」と答えました。

降りかかる災い

アメリカの第18代大統領グラントは、退任後、全財産をだまし取られました。数カ月後、不治のがんと診断されると、作家マーク・トウェインに勧められて回想録を執筆し、死の1週間前に完成させました。遺される家族の生活を心配してのことでした。

神の壮大な物語

ライフ誌(1968年7月12日号)の表紙は、飢えた子どもたちのぞっとする写真でした。ナイジェリア内戦のビアフラで撮影されたものです。心を痛めた少年が牧師に尋ねました。「神さまは知っているの?」牧師は「知っておられるよ。それならなぜって思うだろうけど」と答えました。少年はそんな神ならいらないと言いました。

追い詰められた

昔、友人が、複雑に入り組んだ交差点で立ち往生した話をしてくれました。「そんな場所は見たこともないし、教えられた交通規則は通用しそうもなかったし、すごく怖かったの。それで、交差点の角っこの道端に立って、バスが来たときに『向こう側まで乗せてってもらえませんか』って、運転手さんに頼んだのよ。そこを渡ることに慣れるまでにずいぶんかかったわ。歩いて渡るのも、車で通るのもね」

良い牧者

教会員の男性が家族を捨てて出ていったと聞くと、ウォーレン牧師は、彼と町で偶然出会って話ができるように祈りました。すると、町の食堂で彼を見つけ、「隣に座っていいですか」と声を掛けました。やがて、2人は語り合い、一緒に祈り始めました。

涙の中の祝福

英国在住の若い男性から米国の私にメールが来ました。彼の63歳の父親が病院で生死の淵をさまよっていると言います。私は、この2人と面識はないのですが、父親の方とは仕事の関係で頻繁なやり取りがありました。息子は、父に励ましと祈りのビデオメッセージを送ってもらいたいと依頼してきました。私は感動して、短いあいさつと癒やされるように祈る動画を作りました。父親はその動画を見て、心から喜んだそうです。しかし、残念なことに、数日後、彼の訃報が届きました。妻の手を握ったまま、息を引き取ったそうです。

スタミナ切れ

看護師の友人が「これ以上はもう無理」と涙ながらに訴えました。「自分は看護師に召されたと信じているけれど、もう精神的に参ってしまった」と言いました。新型コロナウイルス感染症がまん延する混乱の中で働き続け、絶望感に圧倒されていたのです。私は友人の疲れ切った顔を見て言いました。「無力さを感じているのね。それなら、神にもらった志を貫く力と、どこに進むべきかという神の導きを祈りましょう」。彼女は即、一般的な祈りではなく、真剣に具体的に祈りました。そして程なく、新たな目的意識を得て、元気を取り戻しました。神は彼女に看護の仕事を続ける気力や体力だけでなく、国中の病院を回ってより多くの患者に仕える強い力を下さいました。

救いの御手

ブロガーのボニー・グレイは、嵐のような悲しみに囚われたと語ります。最高に幸せだった時期に、突然、理由もなく、パニックや抑うつ感に襲われたのです。何とかしようといろいろと試してみましたが、やがて、その状況に1人で立ち向かえるほど自分は強くないと悟りました。彼女は次のように語ります。「あの抑うつ感が去るように、誰にも何も言わず1人で祈りました。信仰が弱いなどと言われるのが嫌だったからです。しかし、神は、痛みから目を逸らさせたり、自分で自分を責めたりさせたいとは思っておられません。私たちを癒やされたいのです」。彼女は、神の臨在に慰められ、癒やされていきました。神は、逆巻く大波から守ってくれるいかりでした。

嘆きから賛美へ

モニカは息子が神に立ち返るように熱心に祈りました。彼の自堕落な生活を嘆き、外国まで彼を追いかけることさえしました。息子の状況は救いようがないように見えました。しかし、ある日、それは起こりました。息子が神と劇的に出会ったのです。やがて彼は、偉大な神学者になりました。その人はヒッポの司教、聖アウグスティヌス(354-430年)です。